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大阪高等裁判所 平成元年(う)391号 判決 1989年7月19日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人後藤玲子作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、弁護人において、控訴趣意中、審理不尽に基づく理由不備の違法があるという部分は事実誤認を、また、法令解釈適用の誤りという部分は事実誤認にもとづきひいては法令の適用を誤った旨それぞれ主張するものであると釈明した)。

控訴趣意中、被告人が車を発進、進行させた行為は、暴行罪の構成要件に該当せず、また、被告人には暴行の故意もないという事実誤認の主張について

論旨は、要するに、本件において被告人の行為を暴行というためには、それが生命、身体に危害を及ぼす危険な行為であるかどうかの点を吟味すべきであり、それは発進時と加速進行時に分けて被害者の状態と車の速度から検討されねばならないところ、本件では、被告人は、A巡視員が運転席右側ドアの窓下に両手をかけていた状態で、ゆっくりした速度で発進させたものであるから、発進時において危険な行為はなく、また、加速進行時においても、右Aは運転席右側ドア窓下に両手をかけ、横向きの状態で小走りについて行ったというのであるから、同人が車から手を離すのは容易な状態であり、被告人が急加速したという証拠はなく、結局加速進行時においても危険な行為はなく、また被告人としては、右Aが車についてきていることを認識していたものの、すぐあきらめて手を離すだろうと軽信したものであり、同人の転倒は不測の事態であるから、被告人には同人に対する暴行の故意もなかったのに、これらをいずれも積極に認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、所論にかんがみ、記録を調査し当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するに、原判決認定の罪となるべき事実は過剰防衛に該当するという点を除きその挙示する証拠により優にこれを肯認することができる。すなわちこれらの関係証拠によれば、被害者Aの受傷に至るまでの経過、受傷時の状況や受傷結果等について、原判決が(公務執行妨害罪を無罪とし、傷害罪を認めた理由)と題する補足説明の二の(一)(二)において説示するとおりの事実が認められ、そして被告人の右行為が刑法二〇八条の暴行罪の構成要件に該当することも、また当時被告人にその故意に欠けるところはなく、傷害罪の成立するものであることは、原判決が前記補足説明(四)において説示するとおりであり、これらの事実認定や判断は、当審における事実取調べの結果によっても左右されるものではない。弁護人は、右の状況下において被告人のとった行為は急発進、急加速進行とはいえないから危険なものではないし、しかも被告人にはそのことの認識すらなかったものであるというが、被告人の右行為については、原判決も説示するように関係証拠によるも、被告人がいわゆる急発進や急加速進行をしたとまでは認められないものの、被告人は、被害者Aが巡視員として被告人の逃走を制止すべく車の窓枠につかまり、容易にはなそうとしない状況を知悉しながら、右Aが車両から手を離すのを確認もせずまた何らの警告もしないまま車を加速進行したものであり、かかる行為に出るときは、車の速度が加わるにしたがいその者が引きづられ更には危険を感じて手をはなした際転倒するなどして、その生命、身体に危害を負う結果の発生することは一般に容易に肯認でき、しかも被告人は右の事態を認識しながら、あえて自車を加速進行させたものであるから、そのこと自体が危険な行為であり、それがA巡視員に対する不法な有形力の行使として、刑法二〇八条の暴行罪の構成要件に該当することは明らかであり、また、被告人にその暴行の故意があったことも優にこれを認めることができるから、原判決に所論のいう事実誤認は存せず、論旨は理由がない。

控訴趣意中、被告人の行為が正当防衛行為であるという主張について

論旨は、要するに、原判決は、被告人の行為をA巡視員の違法な職務執行を排除するための防衛行為であるとしながら防衛の程度を超えているとして過剰防衛にあたると認定するにとどまったが、被告人は急発進もまた急加速もせず、単にその場を立ち去っただけであって、被告人の行為が防衛行為として相当性を欠くものとはとうてい云えず、正当防衛行為に該当するから、この点において原判決は、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認をなし、ひいて法令の適用を誤ったものである、というのである。

そこで、所論にかんがみ検討するに、まず、弁護人が正当防衛を主張する前提事実として、被告人は急発進、急加速進行をしていないという点については、さきに説示したとおり、原判決もこれを積極に認定したわけではなく、その点の事実認定には誤りはない。そこで本件が正当防衛にあたるとの所論について考えるに、本件の事実関係によれば、被告人が、被害者であるA巡視員から駐車禁止違反の事実を現認され、反則金告知手続をとられることとなるや、免許証の呈示をも拒絶して自動車を発進させようとしたところ、右巡視員において反則金告知手続に応じるよう説得しようとしてその逃走を制止すべく、運転台に手を差し入れてスイッチを切りエンジンキーを引き抜こうとしたのに対し、原判決が右巡視員のした行為を巡視員としての職務権限から考えて適法な職務執行といえないとしたこと自体はそれなりに肯認し得ないわけでないが、駐車違反の現行犯人が逃亡をはかる場合は一般市民もこれを逮捕する権限があることにかんがみるとA巡視員において被告人がこれを振り切りスイッチを入れて車を発進させようとした後において、その逃走を制止しようとして車の窓枠下の部分に両手をかけて横走りについて走り、止めなさい、止めなさいと叫んでいるのにこれを聞き入れず、あえて車を加速進行させ、その結果同巡視員を路上に転倒させて傷害を負わせる等した被告人のその行為自体をみると、被告人が右巡視員のスイッチを切りエンジンキーを抜き取る等する行為に対し、これを排除するためその手を振り払ったり、巡視員を押し返すなどすることは被告人において逃亡をはかるためのものでない限りその防衛行為として許されるとしても、免許証の呈示はおろか、自己の住所氏名すら名乗らないままその場から逃走することは社会通念上も許されることではないし、一方このような被告人に対し、前示のように窓枠の下側をつかみ、横走りについて行き、その逃走を制止しようとする巡視員の行為は、現行犯逮捕の際許される実力行使の内容や程度等に照らし考えると、先にエンジンキーを抜き取ろうとした巡視員の行為がその職務執行として適法でないからといって、直ちにその後なお逃走する被告人に対し、右巡視員が反則金告知手続を履践させようとしてなした前記のような制止行為が許されないわけではなく、少なくとも右行為は、駐車禁止違反を犯した被告人の逃亡を阻止するための必要かつ、相当な限度内のものと認められ、何ら違法視されるものでない。

そうすると右A巡視員の阻止行為は、被告人の正当防衛が成立するための前提たる不正な侵害に該当せず、してみると、その余の点につき判断するまでもなく、被告人の本件行為が正当防衛にあたらないとした原判決は結局において正当であり、論旨は理由がない。

(なお、以上によると、原判決には、被告人がA巡視員に傷害を負わせた行為を、同巡視員の違法な職務執行を排除するための防衛行為とみて、過剰防衛を認定した点に事実誤認が存することになるが、原判決は過剰防衛による刑の減軽をしていないし、本件は被告人のみ控訴した事件であるから、その事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかとは認められない。)

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西村清治 裁判官 石井一正 裁判官 浦上文男)

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